2012年3月1日木曜日

占星学のジレンマ 【あたしがコレにやる気をなくしたワケ】

ツイッターでも言われました。
リアルでも言われました。
「にゅうちゃん、なんでどこか(占い師の集まり)に属さないの?」
「もっと客とればいいのに、当たるんだから」
「(おおやけとかに)発表したらいいのに。」

|出口| λ............トボトボ

あ の ね。

ホロスコープが当たるのは当たり前だ(#^ω^)

当てられないほーが頭よぇぇ。
算数やり直してこい。
ついでに国語も。ボキャブラリー足りないだけだ。

でもあたしは絶対どこにも属さないと思うし、ブログとかツイッタで、その気になった時にしかやらないと思う。
やる気がないので、そこを間違えないでほしい。

なぜそんなにやる気がないかというと、ホロスコープの矛盾にぶちあたっているからにすぎない。

さて、考えてほしい。

コレは全て当たる。
なんでも予測できるし過去もいい当てられる。
星は常時観測されているものであり、法則や記録をしっかり学んでしまえば思考に別に困るものでもなく、ホイホイ時間の縛りを越えて、紙の、画面の上の図の中のロジックを解き明かしていけるようになる。

なんだよ、ロジックか、数字遊びか、というとそうなのかもしれない。
ズバズバ恥も外聞もなくあけっぴろげに包み隠さず、なんでも教えてくれる数字の世界。

男性だったら性器の先天的な異常(奇形とか右曲り左曲がりとかデカスギ)とか、女性ならデブとかガリヤセとか、そういうのもちゃんと図に描いてある。

なんでも見通すことができる。
それはなんでも太陽系の一部だからだ。

極論、今日新しいテレビを買ったとする。
買った時間の図を作れば、どんくらいで壊れるとか、ずーっと使い続けられるとか予測できてしまう。

恋人を作っても、互いに誕生日を教え合えば、どのくらいの付き合いでどうなっていくだろうとか予測できてしまう。

もし付き合い始めでいきなり悪い相性ならいきなりサヨナラである。

国が新しくできても、悪い図ならまた戦争かなとか。

ねーねー(・ω・)

それの何が面白いの?w

ある日、ふとそう思った。


あたしのことを話す。

小学生のときに、ア◎ーズという漫画を読んだ。
なにげに友達から借りただけだった。
単なる少女漫画。
そのヒロインの母親が占い師という設定だった。
ヒロインの彼氏は普通の男の子で、最初は彼女もその母親も「占いなんか信じている変な親子」程度の認識だったが、あまりに彼女が占いに頼るもんだから、とうとう本屋で占いの本を一冊買ってしまう。
それをネタにケンカするつもりだったのか仲間になる予定だったのかは知らないw
しばらくすると彼氏はこういうのだ。

「ホロスコープって難しいんだな」

ひねくれもののあたしはそのとき
アァン?(#^ω^)
と思った。
人生の罠だった。(ぇ。

小学生だったあたしは、まさか漫画家さんたちが素晴らしい才能の持ち主でなければ職業にできないことなど微塵も知らず、最初からコバカにしていたので
「この漫画家は難しいということを知っている。だから描いているしセリフも言わせている。つまり漫画家はホロスコープができる。漫画家にできるならあたしにもできる。」
という単純な方程式で、本屋でホロスコープの入門本を買った。

あたしにホイホイできるのならば、全然難しくないのならば、あのセリフは嘘ということになり、漫画家はあたし以下の低能ということになるのだ。
小学生(女子:五年生:くそ生意気)は嬉々としてやり始めた。



そして25年たちました…OTL




難しいどころじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇwwwwwwwwwwww

きっぱり、最初は意味不明である。

大量の暗記内容、常時計算の鬼(PC使えばそれは避けられる。だからフリーソフトが出回っている)、計算が終われば解読開始、そのお客さんの調査(恋愛なら男女どっちかとか、病気なら仕事はどうかとか、金銭なら家族構成も仕事も)手間暇かかってめんどくさい…。

しかもホロスコープの種類もあって大量に作成しなければならない時もある。
トランジット、プログレス、ハーモニクス、これを全部手計算でやっていた子供時代…。

ルーズリーフにまとめて何冊ファイル作ったかわからない。
お前ばかだろあほだろ氏ねよ、と言われると、ハイ、ソーデスネ。なくらいやりまくった。
わかるまでやりまくった。

でもそんなとき。

高校生くらいだったか。

あれ?なんでもわかるんだ?これ。
モノも、生き物も。

ということに気づく。

だから地震予測とかも今しているし、地震占星学という分類もある。
金融占星学なら経済がわかるし、心理占星学なら精神科で応用がきく。
ホラリーに至っては、無くしたものも探せるし、迷子の居場所、誘拐犯の場所、エライ人なら暗殺の是非、質問内容に対してイエスかノーかでなんでもこたえられる。

さっき言ったみたいに、買ったばかりのテレビの行く末もわかる。

最初は便利で面白いかもしれない。
なんでも未来がわかるんだから。

太陽系の中に所属している限り、なんでも先がわかる。

でも、なんでも未来が教えられてしまうのは、果たして素晴らしいものなのだろうか。

乙女だったあたくしは、その矛盾にぶつかってしまった。


赤ちゃんを産んだとしよう。
今日はその子が怪我しそうだから外出させないでおくとする。
そうやって何年も育て続けたら、その子は「怪我の痛みを知らない子」に育ってしまう。

もし世界中の学校で占星学が(計算で可能なので)授業に取り入れられるとする。
未来がわかれば全て人生うまくいくだろうし、大きな挫折も回避できるかもしれないから。
でも人間の成長という意味では、果たしてそれはどうなのだろうか。
その生徒たちは人間味の何も成長しないままになる可能性がある。

また計算に頼るので、危険回避能力はなくなってしまうだろう。
自分で考えることをやめ、なんでも図に頼る。
たしかにホロスコープは依存性がある。(ちゃんと知ってる人にね。オカルトとしてやってる人は別の次元)
なんでも見えるドラえもんの道具のようなものだ。
すぐに頼り、そのうち何も考えなくなってしまうのではないか…。

今日、工場で何かを生産すれば、間違いなく欠陥品が発生してしまうとする。
じゃその日は休業して給料ナシになるの?

悪い客がきそうならコンビニも臨時休業?w
でも開店すると絶対くるよ?w

一生男運がないのなら、一生男と接触することを避け続けるの?w
病気になって男の医者しかいなかったら?w


あああ…(´・ω・`)
なんだこのジレンマは…。

映画のマトリックスでコンピュータが言ったセリフにもある。
人間たちに幸せな夢ばかり見せていたら、人間たちはすぐに死んでしまった。でも少しだけ不幸になる人生を見せてみたら長生きした。

人間は、不幸や挫折を乗り越えて、心の成長をし、仏教でいう徳を得て人間性を完成させていく。
最初からすべてのリスクを回避できてしまうホロスコープ。
それって人間のためになるものなの?と。


そして成人したばかりの頃だったろうか。

だんだんホロスコープに興味がなくなっていった。

ぶっちゃけあたしのネイタル図は、いちいち未来をみたほうが安全な(笑)図なんだけどw
それでも見ないで生きたほうが「よりあたしらしく」不幸でずっこけていけるんじゃないか。
挫折を理解していたとしても、いつ、どこで、どのタイミングでいちいち知ってる人間って、「そもそも人間なの?」という疑問。


そのあと好き放題に生きて、客をとるのもやめ、普通の人間として生きていた。

あたしは普通の生き方を選択したのだ。

いつ不幸になるかなんてわからない世界に戻った。

でもそれで良かったのだと思った。

さすがに子供が生まれた時はワクワク((o(´∀`)o))して図を描いたけど(笑)
才能みて「アッソー(´∀`)」くらいであとはポイw

いきなり降りかかってくる(ように見える)トラブルや不幸たち。
それのトラブルシューティング能力を試される自分に内心ニヤニヤしていたりw

変な上司にぶちあたったとしても、リストラされそうだったとしても、一生懸命頑張っていきることが人間なんじゃないのか。

何も知らないでいることこそ、真の幸せではないのか。

ふと。
そのように思ったわけである。


未来を知ることなど無意味。なのか?
未来を知ることの不幸。というか。
必要なのは「危機察知能力」じゃなくて「危機処理能力」であって、成長の拒否でもなければ、人間性の未発達でもない。


でも例えば、本当に今困っている人がいて、その人にコレの技術が必要だったとしたら、あたしは無料で自分からオバタリアンの世話焼きのように率先してみてあげたりしている。
「次は一億円ね」と釘を刺すのもわすれないけどw

必要ならそれに応じて必要な分だけ見る。
困っている人のために使う。
このくらいなら許されるんじゃないかと思ってはいる。




小さい頃、あたしが生まれたのは山奥のド田舎村だった。
すぐそばの山にはクマもごろごろしていた。
男の子たちと野山をかけまわり、木のぼりしたり秘密基地作ったり。
川に友達が落ちてしまって怪我したり。

川に落ちてしまった子は、ずぶぬれで頭から出血していた。
立ちあがるものの、恐怖とパニックでひたすら泣いていた。
その落ちた子に、すべてのことにクソ真面目な男の子が、危険を顧みず自分も川面まで下りて(大人はいないし大人もビビる高さ)その子を励まし、二人でうちらのところまで登って生還したこともあった。

まだセリフ覚えてるよ…。
大丈夫だ!リナ!!頑張れ!!俺もいく!!

きっと落ちた子は、人生で一番うれしい日になったんじゃないだろうか。
まさか自分のために一人の人間が命がけで助けにきてくれるなんて。

あたしら他の子供たちは、何もできずオロオロしていただけだった。

でもその勇気ある救助劇をみて、全員感動していた。
本当のヒーローってこうなんだろうなぁ、こうあるべきなんだろうなぁ、と。
逃げていた自分たちが、ビビっていた自分たちが愚かしく思えた。
落ちた子は病院につれていかれ、しばらくしたらその川の欄干は丈夫になった。

ねぇ(・ω・)
もしホロスコープができていたら、そのとき、その子は落ちなかったよね。
でも、感動の場面は見れなかったよね。
うちらは人生の学習は何もしなかったよね。


未来を見通す道具っていうのは、必要なものなの?

あたしは、いま困っている人を助けていいの?
もしかしたら助けないほうがその人の「未来のために」いいんじゃないの?

それすらホラリーで見てみれば?と言われそうだけど、ホラリーってそういうの答えてくれないの(・ω・)
イエスかノーかで答えてくれる他に、無言、っていう答えもあるの。
ボイドじゃなくてもねw


未来を知るということは、人間から全てを奪う行為なのではないか…。

そう気が付いた時。

ジレンマに衝突した時。

あたしはやる気をなくしてしまった。


もし、あなたがこれからホロスコープを勉強する人だったとして。

あなたがそのジレンマに衝突したとき。

あなたはどんな答えを出しますか?

実効性のある道具って、時に恐ろしい気がして(・ω・)


それでも今日も、太陽系は回り続けるんだけどもね…w


それでも他人には、あたしのやる気のなさはモッタイナイものになるんだろうか…。

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